当事者デザインという言葉との出会い

当事者デザインという言葉は、2016年6月に専修大学の上平先生に(居酒屋で)教えていただいた言葉で、ブログではこのように紹介されています。

「当事者デザイン」という言葉は、はこだて未来大学の原田先生と岡本先生が2016年度デザイン学会のセッション名として生み出した言葉であり、まだ定着はしてないと思うが、これ以上の適切な言葉を知らない。さまざまな現場において、当事者が、拙くとも自分でなんとかデザイン実践しようとしている場面は実はたくさんある。その活動をエンパワーするためにどのようにその活動自体をデザインできるのか、というのはデザイナーにとっては大変エキサイティングで今日的な問題と言える。上平先生のブログ

このキーワードは、私にとって、山中俊治さんのいう「自分の感覚を射抜く言葉」でした。

私は、学生の頃からデザイナーとデザインする対象との関係性に関心を持ってきました。美術大学在学中にエンジニアとマネジメントを専攻する2人の学生と会社を始めたことも、理系の大学院に進んだことも、そして現在総合大学の中でお仕事をさせていただいることも、その理由からです。そして、対象に近づいた結果、その対象となる人が自分でデザインする(ことを支援する)という必要性に行き着きます。

考えてみれば、デザインとは近代が発生の母体。領主制,身分制を終えて、個々人が力を持って生活する近代という時代の志向を考えれば、当事者によるデザインは当たり前ですらあるように感じます。
実際、様々な人によって近接する概念が語られています。

(不勉強ですみません、他にも色々な人によって語られていると思いますが、他にあれば教えてください。)

このような創造性の民主化のという流れの中で、個人の創造はどう調和され、どう社会化されていくのか。そして、デザインが目指した理想は実現したのか、できていなければ、そこにデザインはどう寄与できるのか、という好奇心が湧いてきます。

予算もない、デザイナーも近寄らない領域で
当事者デザインの必要性が高まる

そこで、近年、自分が取り組んでいる活動の公務員や研究者のための視覚化を、当事者のデザインという観点から捉え直してみることにしました。個人の創造性ではなく、組織や集団における当事者デザインについて考えようと思っています。

一般的に組織や集団におけるデザイン制作は、対象とする人の数が多く、デザインによって得られる直接的な対価が高いものほど、デザインの専門家に依頼・発注される傾向が高まります。

しかし、組織や集団にはデザインの専門家に依頼・発注するまでに行かずとも、非専門家つまり当事者によって実践される様々な創造的行為があると考えられます。それが当事者デザインとして優先的に支援すべきものであるように感じられました。

(なお、当事者デザインの話をするとプロのデザイナーが不要になるのか、という議論になることがありますが、私はそうは思っておらず、新しいデザイナーの役割であり、新しい協働のあり方なんだと思いますがそれは後ほど、、、)

特に、公務員による政策資料の図解や研究者の研究内容の図解は、公益性や社会的意義が高いものの、一般人の人が興味を持ちにくい上に、クリエイターがあまり近寄らない領域です。

これらの図解は通称、ポンチ絵と呼ばれ、世間的(読み手)には評価されているとは言えません。その上、当事者に対してアンケートやヒアリングをして見ると、自分で作る表現そのもに納得していることが極めて低く、制作に必要な時間的コストなどの課題を抱えています。

この領域を、ツール・環境や作り方などのプロセスを含めて支援できないかと思います。そして、このような取り組みを通して、当事者デザインに広く応用可能な方法論的枠組みを考察してみたいと思いました。

 

その後の公開記事

公務員及び研究者の資料の視覚化における当事者デザイン支援について

 

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