社会へのまなざしを持ったデザインの学び / ソーシャルクリエイティブイニシアチブイベント 発表資料

ソーシャルクリエイティブ・イニシアチブ
「社会をクリエイティブにデザインする」のライトニングトークにご招待をいただいた。しかし、情けないことに、大学の100分の授業になれてしまって、その1/20の時間で正しくお伝えできる自信がない。なので、“ライトニングエッセイ”(ただの長文ブログエントリーだけども)ここに残しておきたいと思う。

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僕からは社会課題に向き合うデザイナーの学び、特に大学におけるデザイナー教育の現場から話題提供させていただこうと思う。大学で教員を始めて10年が経った。これまで、他者や社会への「まなざし」を持ったデザインを意識してきた「つもり」だ。

いくつかの授業の事例をご紹介したいと思う。僕はデザイナーが専門家と「組む」というテーマで授業やプロジェクトをおこなっている。データサイエンスティストと組んでインフォグラフィック制作を、政治家と組んで有識者会議の場のデザインを、官僚と組んで政策資料のデザインを、弁護士と秘密保持契約書のデザインを、理系研究者と研究内容の視覚化をおこなってきた。これらの活動を自ら振り返りつつ、ソーシャルデザイン教育における自説を述べてみたい。

僕はデザインの特徴は「かたち」を通して生活世界を作っていくことにあると思っている。「かたち」をつくるには、さまざまな要求や条件、技術や素材、知見や情報を「統合」させていく必要が出てくる。

この「統合」の広さや質がデザインの社会的意味を左右させるし、それがデザイナーの力量ともいえる。たった一つのデザインをする時に、いかに社会全体の文脈や課題を把握しているかによって、美醜を問わずデザインの価値がまったく変わってくる。だから、横断的な知の習得が不可欠だ。

デザイン研究者でもあり思想家でもある向井周太郎先生は「デザインは専門性がない専門」「諸学を統合しながら形を作るのがデザイン」と述べている。しかし、デザイナー自身が知の射程を広げることは容易ではない。学問領域はあまりに広くて深い。

だから、僕は様々な専門家や多様な人々にデザイナー自らが近づき、その知恵を「統合」させて「かたち」を与えていく必要があるのではないかと思っている。ポイントは、依頼されて作るのではなく自ら歩み寄って作ってしまうことだ。

学生にデザインの最新の「手法」を伝えても、あるいは社会に向き合えと「気合い」を伝えても、有効期間は数年しか持たない。むしろ絶えず変容する社会や科学技術の専門知を知りうる人に近づく「姿勢」こそがもっとも重要なのではないかと思うに至った。

これは一種のDesign Attitudeとも言える。この言葉は主にデザインマネジメントの領域で組織におけるデザイン力の文脈で語られた言葉だが、ソーシャルデザインにおいて必要なDesign Attitudeとは、専門知を持った人や課題の当事者と向き合う、あるいは解決の当事者になっていく力だと思っている。

でも、向き合うといっても、学生が社会に近づくには困難が伴う(単刀直入に言うと逃げる)。誤解を恐れず言えば、芸術の学びの場は一種のアジール(避難所)でもある。それは、社会との接続を控え、個の世界を大切にする貴重な場所だ。その繊細かつ宇宙的な個の世界を理解してはじめて、豊かな生活世界の創造が可能になる。

だから、社会に向き合うためには、段階的な習得(Guided Mastery)が必要になってくる。人間中心設計や、Co-designの手法を学ぶことは有効だ。あと、グラフィックレコーディングやグラフィックファシリテーションなどの視覚的記録や視覚的対話の手法もその一つだと最近わかってきた。これらは物事の記録と伝達という効果だけでなく、記録者自身が理解していく、向き合っていく、参加していく効果がある。そして記録者から共創の当事者へと変化していく。

これは、デューイのLearning by doingのようなもの。知識を知るだけではなく、創作することによって分かっていく、関わっていくという能動的な体験がとても大切なのだと思う。

さて、Method(手法・技術)はAttitude(姿勢・志向)とセットにあるような気がしてくる。そして、その姿勢や志向を駆動させるエンジンのようなものに思想や哲学があるような気がしてくる。政治学の領域に政治思想や政治哲学があるように、デザインにもそういった探求が必要ではないかと思う。(自分にそれができる自信はないけども…)

学生は目の前の変化に飲み込まれてしまう。「これから来るのは〇〇だ!」「〇〇に必要な〇〇の方法」こういった近視眼的な情報に振り回されすぎない、過去100年1000年の単位でデザインの意味を読み解く知力が必要な気がしてくる。(もちろん本当の変化を捉える力も重要だ!)

デザインという概念は「近代」が発生の母体だ。ものすごく簡単に言えば、貴族や王族だけでなく他者や社会が幸せになるにはどうしたらよいか、そういう思想が起点にあったはずだ。

日本で初めて世界有数のデザイン企業GKを創設した故 榮久庵憲司氏は道具寺という非常に思想性の高い取り組みをしていた。オーストラリアでサービスデザインについて研究をされている赤間先生は”Design of Kokoro”を語っている。偉大なデザイナーたちのデザイン思想はあげればキリがないけども、そこから学べることは大いにある。

今の時代、大上段に構えると人が去っていきそうだけども、これからは、色々な人たちが創造に参加していく時代。デザインのテクニックだけでなく、向き合い方、眼差し、そして思想や哲学を共有し、質を高めていく場が、必要だと思っている。

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富田誠 Tomita Makoto / 東海大学 准教授
武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業(原研哉ゼミ)。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修了(長幾郎研究室)。デザインエンジニアリング系のスタートアップ創業、早稲田大学政治学研究科助手などを経て、現職。他には、早稲田大学政治学研究科、表現工学科非常勤講師、企業や公益法人等のアドバイザー。
近年は参加型デザインや当事者デザインについて取り組んでいる。

 

 

発表を終えて

当日の様子は武蔵野美術大学の手羽さんのエントリーに掲載されている。手羽さんのエントリーはいつも軽やかに重要なポイントを突いてくるので、読んでいて本当に楽しい。

当日の参加者に、私の学科の卒業生でもあり、授業をしてくださった先生でもあり、現在は武蔵美の学長をされている長澤先生が後ろで聞いていて、本当に冷や汗がでた。

しかし、最後の懇親の場で「Attitudeが重要なんだよ〜これなんだよ〜」と気さくにお話しをいただいた。ホッとしたと同時に、嗅覚や吸収する力に驚いた。

そして、メイン登壇者の若杉浩一さんと立ち話ができた。いただいたキーワードは「失敗」や「遠回り」であった。あらゆる人がデザインしていく時代になって、成功法則としてのデザインメソッドが求められている。でも、芸術や創造の領域は、科学的に正しいと証明された手法を積み重ねていけば成功するわけではない。むしろ、プロトタイピングのような短期的なものも、人生全体も含めて「うまくいかない状態」に対してどう行動するかが重要なのではないかと考えさせられた。

大学の授業だって、たった4年間で社会に向き合うデザインを教えようなんて、おこがましいことなのかもしれない。いろいろ勉強になった1日だった。