Xも、Facebookも、noteも、Instagramも、TikTokも、Snapchatも──どんなメディアでも、なぜだか投稿するのが憚られる。
それでも、日々の出来事をどこかに残しておきたい。
少し時代を逆行するようだが、個人ブログに書き留めていこうと思う。
1か月分を1ポストにまとめて投稿していくつもりだ。
2025年11月11日(火)
- 東海大学の経営学部で「デザイン」という授業が始まっている。担当教員は西村歩さん(MIMIGURI)。西村さんには5年ほど前からお付き合いがあり、よく研究相談させてもらっている。私より随分と若い方なのに私より50歳くらい年上のような博識さがあり、頭の回転の速さと子供のような無邪気さを持ち合わせた方だ。
- 授業にはゲストとしてMIMIGURIの後藤円香さんが登壇されていた。ラインヤフーやクックパッド、そしてMIMIGURIのデザインのお仕事を紹介されていた。ありがたく聴講させてもらった。
- 終わった後にランチをさせてもらった。生成AIとデザインの仕事とキャリアの動向についてお聞きした。

- 終了後に研究室に信州大学のURA(研究マネジメント職)の方と、東海大学医学部の方が訪問してくださった。URAの方を対象とするデザインの学びの提供、来年に向けて動き出しそう。
2025年11月10日(月)
- 今日はラボ・デイ。厚生労働省の年金局の方がオンラインでお話ししてくれた。
3年生の課題テーマのひとつが「年金」だからだ。
テーマは「デザインというわかり方:年金を表現してわかっていく」。
課題の趣旨は以下の通り
「年金」という言葉を聞くと、さまざまな感情が掻き立てられる。わかっていそうで、よくわからない。できれば、わかりたくもない。けれども、本当はわからなければならない。いや、そもそも未来のことなど誰にもわかりはしない。「年金」は、未来を前提とする制度であるがゆえに今知らなくても「なんとかなる」「いや、ならないかもしれない」といった相反する感覚を生み出す。この意味で「年金」は、人々にとって距離を置きたい対象、すなわち「わかりにくさ」の象徴的存在といえるだろう。 では、この近づき難い存在をどうすればわかることができるのだろうか。そこで、デザインしてみよう。 ただし誤解してほしくないのは、この課題とは「年金を誰かにわかりやすく伝えるためのデザイン制作」ではない。むしろ、誰かに伝えようとする営みを通じて、「年金」というテーマに取り組むことで、私たち自身はどのようにわかっていくのか。それを探る実践である。
言い換えれば、伝えようとする行為を通じて、自分自身は本当に知ることができるのか──理解が生成されるプロセスそのものを可視化する実践的探究である。 ウェブサイトで調べてもいい。資料を取り寄せてもいい。電話で問い合わせても、AIに尋ねてもかまわない。いずれの手段も、「つくる」ための調査や準備の過程そのものが理解を深めるプロセスとなる。その歩みを記録に残してほしい。表現方法に制約はない。まずは年金の資料を図解してみてもよい。年金生活者を取材して写真やドキュメンタリーにまとめてもいい。納付状をスケッチしてみるのも手だろう。生成AIとの対話をグラフィックに展開するのも面白い。あるいは年金の専門家に聞き取りを行い、その一問一答を記録するのもよい。
作るもの
「わかっていく日記」 制作に至るまでのあらゆる過程を記録する。制作物の進展とその合間の文章。生まれいずる疑問や不安、納得に至る心情を、エッセイとして丁寧に綴る。
「わかった結果作品」 映像、グラフィック、立体物など、表現方法は問わない。
2025年11月8日(土)
- デザイン学会の秋季大会に参加した。この大会は学生発表がメインイベント。今年はポスター発表が130件程度に300名以上の参加者。例年より3倍程度の規模らしい。
- 発表した学生は4年生と院生の7名。
石田さん 生活する祖母の記録活動と展示会開催がもたらすもの
片平さん 相談する行為を見つめ直すー趣味の相談実践を通じて
山平さん 制御できない存在との描画表現の探究
楊さん 失敗を包み込むテキスタイル作品の制作
佐藤さん 単純作業から生まれる没頭体験のデザイン
寺谷さん 協働型医療を核とした術後リハビリ支援のデザイン
顧さん 日本語オノマトペにおける表現差異の視覚的探究

11月1日(土)
- GK graphicsの40周年記念の会にお邪魔してきた。

