はじめての卒業制作指導
2012年の4月に東海大に来て、初めて卒業制作指導をしている。そして昨日、学生の卒業制作の中間発表が終わった。私にとっては初めての卒業制作の指導で、慣れないことばかり。学生時代、大学院時代、そして助手、非常勤時代に私が経験したり見てきた様々な先生の指導を参考に進めてきた。私は学部の頃は美術大学にいたので、最終作品としてはグラフィック作品と文章であったし、大学院では総合大学の理工系だったので、デジタルでバイスの試作と評価だったし、助手時代は政治学研究科のジャーナリズムコースというところにいたので、ジャーナリズム研究等であったので、学問領域が異なればここまで指導が違うのか….ということを強く実感してきた。
さらに、デザインや美術の領域の卒業研究は多種多様。問題発見、仮説検証型の理系的なアプローチもあれば、あたらしい表現技法に関する研究もあれば、いわゆる美術作品、例えば「わたしの感じる時間の絵画表現 等、「型」があまりない。一般的には指導教員の研究している内容のテーマにそった内容やそれを補完する研究をすることも多いけど、デザインの領域では学生の自由な視点を尊重することが多い。ウチの子たちにもそのような多様性は認めつつも、原則的には背景、先行事例の調査、問題や制作目的の明確化ということをしっかりとやってもらうようにお願いした。何度も事前にプレゼンテーションをしたせいかクリアな発表ができたと思っている。
今回、ラボメンたちが中間発表時に公開した卒業制作のタイトル
・大人数授業における理解度共有のためのオーディエンスレスポンスシステムの提案
これは私の科研に出しているテーマでもあるのだけど、教育工学の分野の話。指導教員の研究テーマや研究目的は共有した上で、具体的な仮説、デザイン案の部分を彼が担当するというスタイル。大学の大人数授業において、学生が理解度を表現するツールはいくつかある。例えば、TV番組の「いいとも」でオーディエンスが使っているリモコンや「へぇ」ボタンもその1つだけど、それを教育の現場で活用している。あるいはソーシャルメディアの授業利用もその1つ。でも普及はまだま遠い。そこで、もっとアナログで簡単に理解度を表現するツールないか、ということで、光の色と調光で学生が理解度を教員に示すツールをデザインする。
・自宅でできる不眠改善手法をテーマとした漫画制作
漫画が上手な彼は、日本人の5人に1人が発症されていると言われている「睡眠障害」にテーマをおいて、自律神経訓練法という手法を漫画でトレーニングできる作品を制作する。
・日常における「とりあえず」をテーマとしたアニメーションの制作
「とりあえず…」が口癖な彼女は、ネガティブに捉えられがちな「とりあえず」という言葉をテーマに作品を制作。「とりあえず、ビール」や「とりあえず、一服」という言葉を分析してみると、「判断の先延ばし」や「人との面倒なやりとりの緩和」、「まずは逃避して後から気合いを入れる」など、人と人とのコミュニケーションを円滑化させたり、ものごとを合理的に進めるための機能があると捉えることができる。「とりあえず」な瞬間をアニメーションとして表現することで、とりあえずの効能を思索する作品を制作する。ちなみに、彼女はこの現象を「とりあえじんぐ:Toriaesing」と命名している。
・グラフィックアプリケーションを用いた新しいフォトモンタージュの技法に関する研究
-「呪縛」と「解放」をテーマとした作品制作を通して –
Photoshop使いの彼は新しいフォトコラージュのスタイルを見つけたいと考える。動物写真を撮影し、今までにない作品にトライしようと考えている。
・日本女性の下着における歴史と現代の下着の意義の視覚化 – 下着 Infographics –
女性は人に見せることのない下着になぜこだわり、そしてなぜ男性はトキメクのかという素朴な疑問をもとに調査を開始。文献を読み込んでいくと、下着そのものを身につけない時代からズロースと呼ばれるアンダーウェアを身につけた時代、西洋下着の普及、機能性下着の普及などの変遷があることを知った。なお、文献によると「パンチラ」に男がトキメクようになったのは1980年代で、昔は白い下着が娼婦のイメージがあったり、下着を何枚も履くことで強姦から身を守ろうとしていた時代もあったらしい。
・訪日外国人を対象とする日本文化の理解を目的としたエンターテイメントプロモーション
– カートゥーン 「Culture Shock」 の制作
欧米圏の人たちの日本への観光旅行の増大を目指して、日本のオリジナルな文化を紹介するエンターテイメントなプロモーションツールを制作。日本への海外の人たちが日本に来て驚く、日本独自の文化をアメコミ・カートゥーンタッチで漫画制作する。
発表の様子をビデオに撮ってリフレクションする
学生の発表した様子はビデオに撮って、卒業制作用のFacebookグループに投稿した。緊張した学生にとっては少々残虐な行為であるけども、自分の発表の様子を見返し自省するよい機会になると思っている。なぜこんな面倒なことをするかと言うと、私が学生時代に中間発表したとき、ものすごい緊張で自分が何を言ったのか、そして何を先生方に指摘されたのかをほとんど記憶できていなかったことにある。今はUSBカメラを繋いだMacでビデオを録画して、それをFBに上げればみんなで確認できる時代なのだ。随分便利になったものである。そして投稿されたビデオを誰が見たのかすぐに確認できるわけだから、大学が提供する教育支援システムより、随分使い勝手がよいのである..