オリンピックのデザインに必要なデザインのプロセス

もうすでに食傷気味かもしれませんが…オリンピックのデザインの話。未来のための議題を少し書き残しておきたい。

結果的に、競技場もユニフォームもエンブレムも批判まみれになってしまった。 ただ、パクリや予算、あるいはデザイナー個人のエピソーデッィクな問題は「投下された燃料の一つ」であって、 この批判の根底には市民が参加できない(応援できない)ことにあるのではないかなぁと思った。そして、パブリックなデザインを決定するための、新しい民主的な決定の方法を日本も検討しなきゃいけない時代になったのかなと思った。

エンブレムの募集の時は、応募資格者はJAGDA会員で有名コンペに2回入賞している人じゃきゃいけない(その段階で80-300人程度に絞られる)そして、有名デザイナーたちが審査した。結果的に市民が関与できる余地がなかった。

ちなみに、桜をモチーフにした招致マークは一般公募で女子大生がデザインしてプロ(GKデザイン)が精緻化するというストーリー。こちらを悪くいう人は少ない。

例えば、投稿されたデザイン案を各地で投票したり、ウェブで投票できるようにして一時審査したりするとか、アイディアソンをやったりストリーム中継したり。そういう過程やストーリーがあって初めて、中のヒト以外の人たちがデザインを応援できるようになるのかもしれない。

山崎亮さんが、今回の五輪のデザインに向けたメッセージで、「プロだけでデザインしないことが重要」とAXISで指摘されたいたことが、まさにそうだなと。さらに言えば、市民の合意を得るためのプロセスを設計することが、クリエイター個人を守ることにもなり、クリエイターの力を最大化させ、「衆愚」に陥らないようにできるのではないか、とも思う。

これから海外からたくさんのお客さんがくるので、様々なパブリックなデザインが増えていく。その時に大なり小なりこの問題って出てくるはず。

さて、どうやってパブリックなデザインをみんなで決めていけばよいのだろう? 参考になりそうなのは、参加型デザイン先進国のデンマークとか?ジャンルは違うけど科学技術コミュニケーションとかの領域も引用できそう?政治と建築みたいな領域も参考になるのかもしれない。みなさん、どう思いますか?

せっかく生きているうちに五輪が開催されるので、記念カキコ。

 

追伸:

この文章をFacebookに投稿したところ、現在、コペンハーゲンIT大学で、参加型デザインを研究されている専修大学の上平先生から「本日公開したブログ記事とシンクロしています」とリプライいただいた。

http://kmhr.hatenablog.com/entry/2015/08/01/165528

デンマークはパブリックなデザインについての意識が高い上に、民主的なデザイン決定プロセスを実現している数少ない国。そこから学ぶことは多い。レポートで興味深かったのが、以下のフレーズ。

・見せかけや口実つくりの市民参画、ワークショップではなく、そもそものところでたとえ子供であっても対等に対話し、尊重する社会理念がベースにある。

・そして民主的とはいっても、決して多数決ではなく、折衷でもなく、決めるところはピシッとプロが決めている。つまり役割分担がうまい。

今回のオリンピックの騒動を通して、わたしたち日本が学ばなければいけないことが少し見えてきたのではないだろうか。