デザイン経営宣言をきっかけに、「デザインとはにか」「デザインは経営に何をもたらすのか」が再び熱く議論されている。これからデザインはどう再解釈され、社会に実装されていくのだろう。
さて、このデザイン思考やデザイン経営という言葉は、コンサルタントやデザイナーから経営者に向けて語られることで社会に普及していった。*1 その結果、デザインは商品力や収益力の向上に効果的だと認識されていったのではないだろうか。
それはとても重要なことだが、経営者ではなく現場の人、労働者に向けてデザインを語ってみると、あまり語られにくい「デザインの動機」を見つけることができないだろうか。
そこで、1.デザイン 2.デザイン経営、3.デザイン思考の「始まりのものがたり」を働き方という観点から語り、企業や社会におけるデザインの意味を検討する。そして、近年みられる、働き方や組織のデザインに関する事例のいくつかを紹介してみたい。
(本エントリーはβ版です。ご指摘歓迎します。)
1.田舎で好きなことで生きていく
近代デザインの父 モリス
まずは1850年頃の近代デザインの父ウィリアム・モリスという人の話。下記のイラストはモリスらによる壁紙のデザインだ。表現だけ見れば、美しく繊細な人柄に感じられるかもしれないが、モリスの思想や活動は”ロック”なのである。
モリスは、大学で建築を学んだ後に就職するが9ヶ月でやめて、結婚したばかりの妻と住む家をロンドン郊外に仲間たちと作り上げる。そしてモリスが21歳の1861年に、自分たちの作った壁紙などの販売を始める。これが世界で初めてのデザイン会社ということになる。
では、モリスはなぜ、ロンドンの都心から郊外に移って仲間たちと仕事を始めたのだろう。
産業革命の後のイギリスは工業化による発展と同時に社会的な混乱があった。例えば、1811年から1817年頃には、イギリス中・北部の織物工業地帯で、手仕事をしてきた労働者による機械破壊運動「ラッダイト運動」が起こっている。労働運動の先駆けだ。
モリスは、機械化による仕事に対して反対し、手仕事による重要性を主張している。そして自らがお手本となって行動で示した。モリスはこのように言っている。
労働を民衆の芸術に育てよう。退屈でつまらない労働、心身をすり減らすような奴隷労働を終わらせよう
山崎亮(2016)コミュニティーデザインの源流 , 太田出版, P48
このようなモリスの思想は、モリスが尊敬する哲学家のジョン・ラスキンから影響によるものだ。ラスキンは手作りの装飾の多いゴシック建築と、近代的で無装飾の建築を比較し工業製品の完全性が作り手の自由度を奪っていると批判している。そして、モリスは社会主義運動家としての活動を強めていく。
よく聞くデザインの始まりのエピソードは、「大量生産の普及に伴って劣悪な商品が流通した時に、手仕事をしていた職人たちが、より美しいものを作ろうとした」というものだ。(少なくとも僕はそう学んだ)これは正しい。しかし、この当時の社会背景を考えると「こんな働き方をしたい」もっというと「こんな働き方や嫌だ」という作り手の願望が基礎にあるように見えてくる。
ウィリアム・モリスやジョン・ラスキンについて書かれた書籍は数多くあるが、山崎亮さんがお書きになった「コミュニティーデザインの源流」は、働き方や共同体作りという観点でモリスやラスキンを読み解いており面白い。さらに、歴史の話と山崎さん自身のコミュニティーデザインの活動が行き来しながら物語が展開する。(山崎さんはラスキンが師匠で、モリスは100年離れた兄弟と思っているらしい!)
2.ロゴマークから働く環境まで
トータルデザインの先駆者ベーレンス
次に1900年頃の話。世界で初めてのデザイン経営を実現した会社といえば、1905年にエジソンのライトの特許を買って急成長した電機メーカーのAEG(あーえーげーと呼ぶ)があげられる。
そのデザインを担当したのはペーター・ベーレンスという建築家で、弟子にはヴァルター・グロピウスやミース・ファンデルローエ、ル・コルビジェなど名だたる建築家がおり20世紀の建築全体に大きな影響をもたらした一人でもある。
彼は、1905年にAEGのデザイン顧問になり、形になるものはすべてデザインする。ベーレンスは企業のロゴマークなどのブランディングのデザインから、電気製品のデザインなどのプロダクトデザインを初めて行った人と言われている。この取り組みは、企業のインハウスデザインの原型とも言える。
(ちなみに、1916年には資生堂にデザインを担当する意匠部ができたのも興味深いのだけど、それは別エントリーで書きました)
そんなベーレンスがデザインしたもの中で最も特徴的なものは工場のデザインだ。工場といってもただの建築物を作ったのではなく、画期的なワークプレースのデザインだった。つまり、ブルーカラーのひとたちが安全に且つ合理的に作業ができるような場の設計をしていた。
上記の写真が、ベーレンスの作った工場のタービンホールだ。今見ると古くて大きな体育館にしか見えないけども、当時は非常に珍しいガラスにより採光を可能とした、合理的で美しく働きやすい工場だった。この工場は「労働の大聖堂」と名付けられたという。
また、ベーレンスは労働者のための住居のデザインをしている。今見ても美しい住居で家具までデザインしている。全ては実現しなかったが郊外に15万戸の労働者が住む町を設計していたようだ。
弟子であったヴァルター・グロピウスは 1911年のドイツ商工業美術館で開催された写真巡回展のパンフレット「工業建築」にてこのように述べている。
工場労働者に、光や空気や清潔さを用意するだけでは十分でない。例え彼らがどんなに無学であろうとも、美しいものへの天性の感覚を呼び覚まされる権利は持っているのだ
アラン・ウィンザー 訳 椎名輝世(2014) ペーターベーレンス, 創英者 三省堂書店, P120
技術も意思決定も複雑化した現代においてベーレンスのように一人がすべてをデザインすることは困難だろうし、したとしても、大変な反感を買うだろう。
しかし、ベーレンスから学ぶべきポイントは、職場の環境に加えて、仕事を終えた労働者が暮らす自宅までまで思いを馳せ、実際にデザインしたことにあると思う。このレベルの全体的視点を持ってデザインできる人は、そう多くはないだろう。
3.経営者と労働者の対話のデザイン
参加型デザインの源流のスカンジナビアンデザイン
次に1970年頃の話だ。デザイン思考の特徴の1つは、多様な人達が関わりながら商品やサービスを作っていくことにあるが、その基礎的な概念として、参加型デザイン(Participatory DesignあるいはCo-design)がある。参加型デザインと聞けば、ワークショップやオープンイノベーションがイメージされて、最近生まれた手法のように思われるかもしれない。しかし、参加型デザインは1970年代に北欧で始まった労働者運動がきっかけである(安岡2014)。
当時の参加型デザインの始まりについて水野大二郎さんがこうまとめている。
1970年代、スカンディナビア半島を中心とした北欧では、身分の差が著しく、企業のマネジメント層と労働者間での立場に大きな乖離があった。工場に新しく導入される技術やその運用に関する決定権はマネジメント層の労働組合が握っており、技術による生産性の向上が優先された結果、労働者の立場は、次第に揺るがされていった。(中略) この時代的な風潮と社会構造的な不平等さを背景に70年代、労働者自らが自身の権利を主張し、労働組合を相手に、働き方の調整を求める労働運動が数多く発生していった
水野大二郎(2018)Participatory Design – Genealogical Studies https://issuu.com/tacticaldesign/docs/participatory_design_ P3
上平先生によるデンマークの労働者博物館のレポートでは当時の様子が垣間見れる。8時間労働制を主張する闘いの旗からは短時間労働は勝ち取ったものと指摘している。ちなみに、日本では1955年に企業別の組合が毎年春に集中的に賃上げ交渉を行う「春闘」が始まり、1960年代以降に定着している。
さて、デンマークではその労働運動において、デザイナーが経営者と労働者の間をつなげるという役割を果たしていく。
彼ら(デザイナー)は労働組合と労働者のパートナーシップを形成することを目的に、そのための政治的な対話の場を設置するためのゲームやツールを開発した。また、ツールを開発する上で、労働者にとっての肯定的な状況を理解するためにアクションリサーチを開発した。
水野大二郎(2018)Participatory Design – Genealogical Studies https://issuu.com/tacticaldesign/docs/participatory_design_ P3
このような参加型デザインの手法は、徐々に商品づくりにも生かされるようになった。特に、複雑化した電気製品のデザインにおいてデザイナーやエンジニア、あるいは経営者の人たちが物作り関わる必要が出てきた。さらに、利用者の人たちなども巻き込むなど、マーケティングのニーズも取り入れながら現在のデザイン思考やオープンイノベーションなどの手法に発展している。
「どう生きるか」「どう働くか」「どう作るか」
簡単ではあるけども、働き方という観点でデザインの始まりの物語を紹介した。
デザインの動機は、収益力や商品力の向上だけでなく、「どう働くか」「どう生きるか」そういった人の理想や欲望に向き合うことから始まることもある。
そして、それがたとえ経営の観点からは一時的に敵対するものだとしても、批判や論争だけで終わらせずに、新たに創造して乗り越えていくところに、新しいデザインの本質があるように思えてくる。
このような働き方を動機とした新しい企業や社会のデザインは、決して昔だけの話だけでなく、現代においても(こそ)活発だ。
例えば、西村佳哲さんのリビングワールドや、 東京ワークデザインウィーク やGreenzの Beの肩書き などがある。また、企業の組織作りの方法としてデザイン組織の作り方やクリエイティブリーダーシップ、あるいは社員の成長や変化を設計するトランジションデザインなどの実践例も見られる。
また、山本郁也さんのデラシネ など東京から地方へ活動拠点を移してデザインする例や、石巻の漁師のブランディングを実現したフィッシャーマン・ジャパンなど、働く人をエンパワメントする例もある。さらに拡張家族 や シェア子育てなどなど生活の営みそのものを再定義する試みも見られる。
僕は、こういった生き方を美しくしようとする取り組みにこそ、新しいデザインが始まりそうな「何か」を感じてしまう。
ちなみに、僕はというと、、これから増えるであろう創ることと学ぶことを繰り返す探究的創造者を支えられる人になるため、博士課程に在籍して修行中なのである。頑張るぞー!
脚注
1) デザイン思考の普及者としてあげられるのはデザインコンサルテーションファームのIDEOのが挙げられるが、元々はデザインの科学、言い換えればデザインはどのように生まれるのかを科学的に明らかにしようとした取り組みが原型となっている。具体的には、認知科学者のハーバート・サイモン(Herbert Simon)や、デザイン理論研究者のホルスト・ リッテル (Horst Rittel)などがあげられる。
参考文献
柏木博(2006)「近代デザイン史」武蔵野美術大学出版局
山崎 亮(2016)「コミュニティーデザインの源流」太田出版
アラン・ウィンザー , 訳 椎名輝世(2014)「ペーターベーレンス」創英者三省堂書店
水野大二郎 2018 Participatory Design – Genealogical Studies https://issuu.com/tacticaldesign/docs/participatory_design_
安岡美佳(2013)「デザイン思考 – 北欧の研究と実践」国際大学グローバル・コミュニケーション・センター, 智場#118
安岡美佳(2014)デンマーク流戦略的参加型デザインの活用一橋ビジネスレビュー 2014 WIN