[ 写真:卒業式の日、自宅前の桜 ]
毎年、卒業式挨拶のための原稿を書いているのだけど(アドリブで話せないから)、今年は式典もなくなってしまい、落ち着かない卒業式になってしまったので、ここで原稿を公開しておこうと思う。この原稿は、東海大学の教養学部芸術学科デザイン学課程の皆さんとゼミの学生のために書いた原稿ですが、授業や研究でお世話になった、他学部の学生、他大学の学生の皆さんにも、卒業・修了のお祝いを申し上げます。
今年度は卒業式の式典が開催されないという極めて異常な事態となり、本当に悲しく思います。私たちが当たり前だと思っていることは、あまりに脆(もろ)く、儚(はかな)いものです。しかし、このように大学が感染症によって制限を受けることはこれまでなかったのでしょうか?歴史を調べてみたところ、興味深いエピソードに出会いました。
今から360年前の1660年頃、イギリスではペストが大流行し、7万人もの人々が亡くなってしまいました。ロンドンでは大学が閉鎖されて、学生は疎開させられました。イギリスの天才科学者アイザック・ニュートンもその1人です。しかし、ニュートンは、その故郷にいる 18 か月の間に、プリズムを使った光の分解や万有引力など世界の科学知を塗り変える業績を見つけ出したのでした。その時ニュートンは24歳でした。大学に戻ったニュートンは26歳で教授に就任し講義を担当することになるのです。
繰り返される日常よりも、非日常の方が私たち自身が何をするべきか、何を学ぶべきかを考える機会でもあるのではないかと考えさせられます。
ところで、みなさんが1年生の時に、デザインとはなんですか?と聞いたはずです。1年生の時と今ではその答えは大きく違うでしょう。デザインとは何か、その答えは人によってそれぞれですが、高校生の頃、ぼんやりと感じていたことと、今みなさんが考えるデザインとの違いこそが、みなさんのデザインの学びなのだと思います。
そして、このデザインは、社会が危機的な状況であるほど求められるものです。
例えば、1995年の阪神淡路大震災ではボランティアや非営利組織の活動の元年になりました。2011年の東日本大震災では、コミュニティーのデザインや、必要な人が自分たちの力でデザインする当事者デザインなど創造性の民主化の元年となりました。
人類は傷を負うとそれを修復しようと新しい活動が生まれ、それが増殖し再生につながります。 このようなプロセスは、政府から、大企業から、あるいは上司から指示されてうまれるものではなく、必要だと思った人が自らやり始めた行動の連鎖です。
デザインを学んだ我々は、このような困難な状況こそ、つくることを通して、対象を理解し、主体的に関わる機会をつくることになるでしょう。
危機を悲観せず、思考停止に陥らず、批判だけで終わらず、創造的に乗り越えていくことがクリエイターの役割です。
みなさんの活躍に心から期待しています。この度はご卒業おめでとうございました。
ゼミのみなさんへ
ゼミのみなさん、このような状況の中でこのような機会をいただき本当にありがとうございました。今年のゼミのみなさんは、僕が指導してきた学生の中で初めて、全員が卒業研究前に学会などで発表することを成し遂げた世代です。
プレッシャーばかり与えてしまっていたかもしれませんが、本当によく答えてくれてありがとうございました。誰もがあれを乗り越えることはできないと思うほど、限界までデザインしていたように思います。僕も社会人学生をやっていますので、とても勇気づけられました。
自分のデザインによって自分とそして世界がどのように変容したのかを察知すること、それを他者につたえること、それは持続的に何かをデザインし続ける原動力になると思っています。
ところで、皆さんの飲み会は大変激しく、非日常的で、予想を超えた楽しさに満ちたものです。僕もパリピになれる時間を楽しんできました。今年も謝恩会後のホテルを予約し、朝まで飲み会に参加したいと思っていましたが、それができないことをとても残念に感じています。
しかし、これからの時代は卒業を機に関係がゼロになることはなく、オンライン上で関係がゆる〜く続くのではないかと思います。今回、コロナの件でオンラインミーティングをよくしていますが、卒業生も在学生も関係なく参加する機会にとても可能性を感じています。
ですので、あまり大袈裟にお別れの言葉を言わずに、終えたいと思います。また、世の中が明るくなった時に集まりましょう。