視覚的対話が生み出す理解と参加 -ビジュアルファシリテーションの実践を通して- 情報コミュニケーション学会 15回 講演資料

3月10日と11日に情報コミュニケーション学会の第15回の全国大会が大手前大学で開催された。大会テーマは「地域共創とコミュニケーション」。大会ではすべての口頭発表がグラレコされるなど(参考:鈴木さんのエントリー)、対話の視覚化を全面的に取り入れた学会であった。そのような関係もあり、招待講演で発表をさせていただくことになった。

当日の発表原稿とスライドをまとめた資料はこちら。

視覚的対話が生み出す理解と参加(PDF)

発表内容は、僕が今まで取り組んできたことを総論的に、さらにグラフィックレコーディングやビジュアルファシリテーションで学んだことを総論的に語っているので、僕の近くの方には発見がないかもしれない。今回の発表において、一番伝えたかったメッセージはタイトルの通り、理解と参加というものが視覚化によって生み出されるのではないか、ということだ。

特に僕にとって今関心があるのは、「描くことも含めて創る行為には、自分や環境を理解して、環境や世界に関わっていくという意味が発生している」という至極当たり前のこと。(そして、これは子供が絵を描くという行為に類似している)。だから今回の発表において自分がもっとも伝えたかったことは以下の一文にあるような気がする。

誰が読んでも正しいと思う客観的記録ではなく、自己を投影し主観的に描き、そこにある知と一体化を目指す表現行為、それが対話や共創の場における視覚化なのではないかと思うのです。

 

他の発表を聞いて

口頭発表では:グラフィックレコーディングのセッション

ところで、当日の研究発表では様々なフィールドで視覚的対話を用いた活動の報告があった。工業高等専門学校では学び方のイノベーションに、介護・福祉業界及び地域包括ケアの分野では医療スタッフと患者のコミュニケーションに、防災教育の分野では学びの振り返りに、発達障害者を対象として多様な人々との対話に、鹿児島の一般市民に対しては一対一のグラレコによる対人援助に、など課題を持つ当事者と密接に関わりながら、多様な実践が伺えて、非常に刺激的だった。

なお、鹿児島でグラレコをされている関美穂子さんの発表「一対一の対話の場における視覚化の手法〜コーチング的メソッドを取り入れた一対一の視覚的対話「可視カフェ」の実践〜」(参考:関さんのエントリー)は富田も共著でお手伝いさせていただいた。学生でも研究者でもなく一般の方なのだけど、自分の活動を研究として発表してみたいとご連絡があった。書き終えて、自分の活動の特徴がクリアになったとおっしゃっている。自分の活動を研究化すると、自分の活動はどのような文脈に位置付けられていて、どのような他者の実践や知恵に支えられて、他者とどのような違いがあるかを理解でき、新たな一歩を踏み出せるようになるのかもしれない。

これからの仕事の作り方や生き方って、実は研究をすることと密接に繋がっている気がしてくる。

また、常葉大学の安武先生からは、グラフィックレコーダーの成長過程や成果物の分析から面的思考という特性の発表があった。発表の中で興味深かったのは「記録者から共創の当事者への変化」というフレーズだった。対話の場の表現を通して理解し参加していくというレコーダーの変化。これは、グラレコをしている学生さんを長期的にみている教員ならではの気づきなのかもしれない。

基調講演では:多重知能理論と創造性

基調講演は、明治大学の阪井先生による「多重知能理論と大学教育への応用」。心理学者H.E Gardnerによって提唱された多重知能:Multiple Intelligence(MI) 理論によると、人の知能はIQのように画一的なものではなく、言語的、論理数学的、音楽的、身体運動的、空間的、対人的、内省的、博物的知能などの多数の知能によって構成されているらしい。そして、それらの知能は単独で機能することはなく、複数の知能が同時に機能し、お互いを補い合っているという。興味深いのは創造的な状態とはこれらの知能が総動員された時の状態であるという。

 

視覚化というものをやっていると、視覚化万能主義になってしまうような気がするのだけど、視覚表現は空間的知能の1つにすぎない。対話や共創の場において、言葉にすることが上手な言語的知能の高い人たちの「追い越し」を視覚化が防いだとしても、視覚化が絶対的な対話の手法ではない。情報を整理したり、その場を振り返ったり、対話のリズムを作ったり色々な人たちの得意な知能を総動員し共振させるのが共創なのかもしれない。