4月から35歳にして博士後期課程の学生になる。
博士課程に進むかどうかは、東海大学でお仕事をいただいた時から悩んでいた。博士は「足の裏の米粒」とも言われているらしい。博士という資格は取らないと気持ち悪いけれど、取っても食えないという意味だ。なんとモチベーションがあがらない例えではないか。
芸術・デザイン系では取得している人は多くはないし、このままでいいか。いやだめだ。そう悩みながら、いろいろな方に相談をしてきた(この場を借りてご助言いただいた方々に感謝申し上げます)そんな中、お世話になっている国立環境研究所の中島先生からこのような言葉をいただいた。
博士研究において、重要なことは、大なり小なり、ご自身が最高の権威となる学問分野を切り開くことです。そして、ここが、いわゆる学士や修士の卒業研究とは大きく異なる点であり、私が知る限り文理問わず博士号の認定の根幹にある要求事項であると認識しています。
心を打たれた。(いつか博士を目指す学生にこんな力強い言葉をかけてあげたいものだ)
家族にも相談した。ちなみに元々看護師であった母は、52歳で初めて大学に行き、福祉の領域で学士を2つと修士1つを取って、現在は福祉施設を2つ監督しながら論文執筆をしている。このまえは、学会で論文賞をとって京都に招待されたという自慢のメールが届いた。現在の年齢は64歳、年齢と学びは関係ないことを自ら証明している。当たり前のように応援された。
決断した私は、学部長や主任、職場の先生に相談し、在職しながらの進学の許諾をいただいた(本当にありがとうございます)
入学予定の大学は筑波大学の大学院芸術専攻だ。筑波大学は国立の総合大学でありながら古くから芸術やデザインの専門的教育を行っており、デザイン学の博士を出す数少ない大学だ。元々筑波大学は東京師範学校という名称で開学しており、教員養成を目的とした大学だったらしい。僕がお世話になっているデザインの研究者も筑波大学の出身が多いのは偶然ではないかもしれない。
博士研究で取り組みたいことを大上段に構えて言ってしまうと「複雑化する社会課題を乗り越えるために、研究者などの高度な専門性を持った人たちが、多様なステークホルダーと対話し共創を実現する方法を明らかにする」ということ。特に視覚的対話という方法からアプローチしたいと思っている。それを少子高齢化や格差・分断が深化した課題先進国、日本で研究することに意味があると思っている。(数年後にこのエントリーを見直して恥ずかしくなりそうだ)
できの悪い私を指導してくださる予定の先生は、ビジュアルコミュニケーション、科学技術コミュニケーションについて多くの実績をお持ちの田中先生だ。以前より研究成果を拝見しており、ご助言いただけるだけでも光栄だ。
研究がどうなるかはまだわからないけども、芸術やデザインにおいて過去にどのような知が生まれて来たのかを明らかにすること、芸術やデザインの意味や効果を正しく言語化すること、そういうことは最低限鍛えられると思っている。
先日学費を振り込んで、自動引き落としのハンコを押してきた。口座から残額がガクリと減る。お腹にグッと力が入る。学部や大学院の学費を払ってくれた私の両親、そして大学に入学させる親御さんの想いが少しわかったような気がする。
頑張ろう。