デザイン系の学生はポートフォリオと呼ばれる自分の活動や作品をまとめた作品集を作って、それを見せながら就職活動をすることが多い。僕はこのポートフォリオの作り方を学び発表する夏季集中授業「プレゼンテーション・ポートフォリオ」を担当している。
もう5年くらい担当しているのだけど、徐々にこの授業の捉え方や授業の方針が変わってきたので書き残しておこうと思う。
昔は、いかに美しいポートフォリオを作るのか、志望企業に響く、説得力のある作品集を作るのかを意識して授業を進行していた。
でも、本当に大切なことは、自分の活動や作品を振り返って自分の言葉でその意味を語ることではないかと思うようになった。言い方を変えれば、「プロモーション」から「リフレクション」へ、授業の意味を転換させたいと思うようになった。
その背景の一つには、企業と学生の接点の多様化がある。ワークショップやインターンによる採用が当たり前になって、企業は学生の性格やコミュニケーションまで確認できるようになった。学生もソーシャルメディアやウェブサイトで作品や活動を披露できるようになった。そう考えると、見栄えのいい作品集や、刺さる言葉にあふれたエントリーシートだけに頼る時代ではなくなってきたように思える。
学生の未来を考えても、雇用は流動化し働き方の不確実性はより一層高まって来る。今の学生は2人に1人が100歳まで生きるらしい。慌ただしい就職活動に巻き込まれる前に、自分とは何者で、他者と一緒にどんな物語を紡いでいくのか。そんなことを考えてもらう授業にしたいと思うようになった。
「自分を語る」ために
とはいえ、とにかく創り続けてきた学生が、一度振り返ってその意味を語るのは難しい。そもそも文字言語よりも造形言語が得意だから芸術学科に来たのだ。僕が美大生の頃を思い出すと、本当に辛かった。今の学生だって同じだ。
そこで、授業では、自分語りのためのインストラクションとして、自分の変化を生み出したものを書き出したり、2人組になって「聞き手からの質問」を通して自分を語ってもらった。また、「自分語りの型」を用意して、それを引用しながら自分を語ってみることにチャレンジしてみた。
撮影も語るための一つの手段だ。スタジオで自分の作品を色んなアングルで撮影していく。それは、作品のコンセプトや美しさに気がついていく過程そのものだ。
結果的に、「授業で作った作品とは一体何か」「そこから何を学んだのか」「それは自分にとってどういう意味があったのか」学生たちはそんなことを考える。
そして、自分なりのデザインの「クセ」というか「流儀」というか「哲学」がぼんやり見えてきて、これから「やってみたい仕事(やりたくない仕事)」がぼんやり見えてくる。
これは授業後に整理し直したものだけど、Kolbの経験学習モデルを引用しながら、創造的体験を省察するための問いかけの輪というものを作ってみた。問いを繰り返しながら省察をして行く。
志望の職種に応じた三つの方向性
最終的には、対象を意識したポートフォリオを作っていく。授業は志望の職種に応じて、緩やかな3つの方向性を示した。
A デザイン制作系を意識したグループ(デザイン事務所、インハウスデザイナーなど)
より作品集的なポートフォリオが求められ、アウトプットの質と量が求められる。
B 企画系の仕事を意識したグループ(代理店、クリエイティブ重視の企業など)
作品などのアウトプットを重要視しながら、企画背景やコンセプト、プロセスを丁寧に記述し、モノだけでなくコトを丁寧に説明することが求められる。
C 総合職を意識したグループ(一般的な企業)
人間性や自分の物語を丁寧に説明する。困難にどう立ち向かったのかや、自分と社会がどのような関係性を持ちうるかをデザインを切り口に語ることが求められる。
ABCどれも必要な要素があるので割合の問題だ。Aはとことん作品作りに没頭した人が多いし、Cを選ぶ人はサークルや部活に専念した人が多かったりする。ポートフォリオの内容も全然変わるのだが、他者との違いを感じながら、それぞれの方法を相互に学んでいく。
最終発表会
最終発表会には企業の方にも来ていただき、学生は緊張しながら3分間で発表する。これまで来ていただた方は、アマナイメージズ様、ロフトワーク様、ゼロジーアクト様など、様々な方にご協力いただいた。
また、この授業はもともと、東海大学の池村明生先生が担当されていた。当時非常勤講師だった僕が参加し、現在は森本忠夫先生、清水麻美子先生と協力しながら担当している。
実は、カリキュラム改編の関係で夏の集中授業という形は来年が最後になる予定だ。(その次からは通常学期に毎週開講となる予定)
さて、来年はどんな風に進めよう。