デザインの実践の語り方 2019年春季デザイン学会

2019年春のデザイン学会で私が印象的だったのは、社会の中で実践されるデザイン(Designing)の語り方が、これまで以上に多く議論されていたことだった。

口頭発表のテーマセッションでは、情報デザイン研究部会の「現場の知識・経験に基づくデザイン」があった他、原田泰さんらによる「語らうデザイン~社会実践のデザイン学~」なども開催され、「モノやコトづくり」の語り方の試行錯誤が見られた。

僕も不勉強ながら、この記事この記事など、学生の卒業研究や企業のデザイナーの知の共有の方法についてどうすれば良いかを考えている。状況依存的で説明が困難な芸術やデザインの実践を、どう他者や他分野の人たちと共有するのだろうか。

前述の研究会では、原田泰さんや横溝賢さんらのデザインの実践やその記述の実践例が提示されたあと、ゲストスピーカーとして加藤文俊さんや上田信行さん、そして須永剛司さんが話された。1つ1つを書き残したいのだけども、このエントリでは須永さんの話を書き残しておきたい。

一般的に科学的な知は、分野によって差はあれど、その多くが「背景→課題→仮説→制作→評価→考察」のような順番で記述される。

これに対して、須永さんはデザインの実践をこのような順番で語ることを推奨する。

  • What 何をデザインしたか
  • Why なぜそれをデザインしたか
  • How どうデザインしたのか
  • What I Have learned is..(Findingと言ってもいいのだろうか)私は何がわかったのか

これは一見すると、説明の順番を結果から言うのか、理由から言うのかの違いに見える。しかし、語り方の順番はデザインの構想時にも大きな影響を及ぼすように思えてくる。つまり、「目的のためにデザインした」と言っていることを想定することで、デザインの構想時に目的が肥大化し、小さなデザインになってしまうように思うのだ。

僕も学生もデザインの発表の場で多くの「前置き」を語る。壮大な目標、デザイン制作上の制限、そして自分の思考の変化など、Whyにもならない「前置き」が続く。そして、発表時間の9割くらいを使って前置きを話した後に「そこで私が作ったのはこれです」と説明する。しかも、具体的に「何を」デザインしたのかを語れていない。
その上、前置き(理由)とデザイン(結果)に理論的な繋がりがないから、質疑の時間が、その整合性の指摘で終わってしまうことはよくあることだ。

デザインのWhat

だからこそ、最初に「何をデザインした」つまりWhatを適切な言葉で語りたいのだけど、簡単なようでなかなか難しい。例えば、「〇〇のポスターを作った」と言ってもいいのだが、なかなか潔く言えない。どこかで既にある何かと違うんだと言いたいと思っているからなのかもしれない。

デザインのWhy

そして、「なぜデザインしたのか」つまりWhyを語るのも難しい。芸術やデザインはある種の無目的性や遊びから生まれることが多い。「思わずしてしまう」、「とにかく作ってしまう」という類のものに近く、実践のWhyは不明確なまま進んでいることが多い。

だから、本来の実践の理由とは本人にも簡単に説明できない。多くは、誰かに説明する必要が生まれることで、(相手に合わせたもっともらしい)理由が立ち現れていくのかもしれない。

自分のFinding

さらに、「自分は何がわかったのか」つまりFindingを語るも難しい。よくブログで見かけるような「私が何々をしてわかった3つのこと」のような記述もいいけれど、もう少し深みが欲しい。
実践によって生まれる結果、つまり自分の変化や、環境や他者への変化を注意深く、記述しながら、自分が知った、わかったことを整理していく必要がある。

これらは、デザインの実践の過程の記録(写真やビデオ、スケッチなど)を丁寧に残し、それをまとめ、振り返ることを通してその実践の意味を紡ぎ出していくような方法も必要になってくるだろう。

もしかしたら、そのような(仮説的な)知を、改めて「実験室」で試してみると言うことも必要になるかもしれない。あるいは、自分の実践をビデオに撮って見直したりすることで、自分にも気がつかない行為の意味を発見する方法もあるかもしれない。(いま、僕の研究ではその準備をしている)質的にも量的にも研究していくアプローチが必要となっている。

さて、ここでちょっとした告知。デザインのリフレクションをテーマとして研究している瀧知恵美さん(Yahoo! デザイナー)や、須永研で修行され、まさに前述のような形式で発表されていた清水淳子さん(多摩美術大学)と「感想以上研究未満」というちょっとしたワークショップ&セッションを夏に東海大で開催予定だ。

自分の実践によって生まれる「楽しかった!」「辛かった!」というレベルの感想を起点にしつつ、どうやって他者と共有可能な研究の知へと連続的に深化させていくのか、そういったことをテーマとする予定だ。